【福岡アジア文化賞 メールマガジン】 (Vol.3)                   2007/05/11



                        〜 アジアの風だより 〜


 ゴールデンウィークの福岡市内は、博多どんたくに、数多くのパレード隊が繰り出し、
溢れんばかりの見物客で、賑やかに盛り上がりました。
若葉が美しく、風薫る季節になりましたが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 さて、福岡アジア文化賞委員会では、9月に開催する授賞式や市民フォーラムなどに向
けて、準備に余念がないところですが、6月末には、第18回の受賞者を発表する予定で
す。今年はどのような方々が、アジア文化への貢献者として、その栄誉に輝くのでしょ
うか。
 今回の 〜アジアの風だより〜 では、2001年の大賞受賞者であり、昨年、ノーベル平
和賞を受賞したムハマド・ユヌスさんについ、当時担当された馬場伸一前福岡アジア文
化賞室長の寄稿により、ご紹介します。

      ※ 受賞者の紹介や賞の概要や等はホームページをご覧ください。
         http://www.city.fukuoka.jp/asiaprize/



                        『ムハマド・ユヌスさんの横顔』
 
                                       
 バングラデシュで「マイクロクレジット」事業を起こし、貧困の撲滅に大きな功績を
あげてこられたグラミン銀行総裁のムハマド・ユヌス博士が、2006年のノーベル平和賞
を受賞されました。ユヌス博士は、2001年の福岡アジア文化賞大賞の受賞者です。光栄
なことに、当時、私は三日間にわたって博士の世話係をしました。とても澄んだ目をし
た、哲人の風格のある方で、そばにいるだけで、強靱な意志とオーラを感じました。
  
さて、バングラデシュが独立を果たしたのは1971年ですが、「祖国独立」に歓喜した在
米のベンガル人留学生たちは「国づくり」の理想に燃えて争って帰国しました。すでに
アメリカ人の妻を迎え、米国永住権を取得していたムハマド・ユヌス博士もその一人で
した。しかし、帰国してチッタゴン大学の経済学部長となった博士が見たものは、戦争
で荒廃した祖国と飢饉に苦しむ農民の姿でした。祖国の絶望的な貧困を目にして、博士
は自分が大学で教えている『経済学』というものが一体何なのか、悩みます。アメリカ
で身につけた華麗な経済学の大系が急速に色褪せて見えたことでしょう。そして徒手空
拳、「貧しい人々に元手を貸す」というマイクロクレジット事業に乗り出すのです。ア
メリカで約束されていた学者としての将来を捨て、チッタゴン大学学部長としての安定
した生活を捨て、そしてアメリカ人の妻とも別れるという犠牲を払って。ユヌス博士は
偉大なる情熱の人です。

 それほどの激しく強い情熱を裡に秘めながら、日常のユヌス博士は実にやさしい方で
した。常に穏やかな微笑みを絶やさず、ユーモアのあるお話をされる方でした。もちろ
ん、マイクロ・クレジットの話が盛り上がって声が大きくなることはありましたが、決
して感情的になられることのない方でした。ただ、博士の青い瞳は常に深く強く輝いて
いて、博士の知性と情熱の大きさと深さを語っていたように思います。

マイクロクレジットは極めて独創的なコミュニティ・ビジネスです。そもそも、なぜ極
貧層の人々が貧困から抜け出せないかというと、「元手」をまったく持たないからで
す。

例えば、ダッカで山のように走っているリキシャ(人力車。今は自転車をこぐ型式が
主)のドライバーの多くは、リキシャを親方から借りています。売り上げからリキシャ
の賃料を払えば、残るのは生存ギリギリの生活費のみ。貧しい人々ほど限界まで搾取さ
れる構造の中で、自分で仕事を始めるために必要なお金(元手)を貯めることが不可能
なのです。

優れた経済学者であるユヌス博士は、この貧困の悪循環に気づき、それを打破するため
にマイクロクレジットの事業を始めました。最初は、銀行にこのアイデアを持ち込んで
相談されたそうです。しかし、少額の資本を「極貧の人たちに無担保で貸す」というア
イデアは、プロの金融業の人たちには荒唐無稽なものに思われました。

 銀行に断られたユヌス博士はマイクロクレジット事業を自ら始めることを決意しまし
た。金融のプロばかりではなく、あらゆる人々から嘲笑されたそうです。「金をドブに
捨てるようなものだ」と。貧しい人たちがお金を返せるはずがない、と誰もが思いまし
た。

 しかし、ここが社会的起業家としてのユヌス博士のすごみなのですが、博士はバング
ラデシュの社会構造を深く洞察し、貸し倒れが起きないビジネスモデルを構築したので
す。ポイントは以下のような点です。

(1) 女性に貸す(そのほとんどが母親)

 男性はお金をつかむとつい気が大きくなって浪費しがちです。あるいは事業計画が派
手になりがちで失敗のリスクが高い。しかし母親は、その点堅実です。子どもに少しで
も良いものを食べさせたいので、決して無駄遣いをしない。必ず商売の元手とし、かつ
勤勉によく働く。

(2) 借り手をグループ化する。

 互いに相談し励ましあうことで、くじけず返済を続けることができる。このグループ
は借入金の連帯保証人ではありませんが、農村の濃密なコミュニティの「みんなで」借
り入れをすることで、仕事を始める勇気を与え、かつ「返せないと恥ずかしい」という
気持ちを持たせることができました。

 既婚婦人は一人で外出しないのが常識のイスラム伝統社会では、女性が仕事を始める
こと自体、かなり大変なことです。グループ化により、他のメンバーから夫を説得して
もらうという効果もありました。

(3) グラミン銀行員が農村を訪問し、返済金を受領すると同時に様々な相談に乗る。

「はだしの医者」ならぬ「はだしの銀行員」です。都会の立派な建物の中でふんぞり返
っているのが銀行員、というイメージであったバングラデシュの社会で、農村に銀行員
がやって来ることは画期的なことでした。既婚婦人は家族以外の男性と口をきいてはな
らない、という伝統の中、グラミン銀行員は相談に乗るにあたって「壁越し」に女性と
会話するなどという苦労もありました。

 このような斬新なビジネスモデルを構築したことによって、貧困層に貧困脱出のため
の「元手」を与え、いただいた利息できちんと収益をあげ、事業を拡大することができ
たのです。マイクロクレジットはいまや、先進国を含む世界中で貧困対策の標準ツール
として使われています。

福岡での滞在の最終日、「落ち着けるところに」というリクエストで、大濠公園に案内
しました。水と緑を見つめながら、心からくつろいでおられました。さらなる貧困撲滅
の戦いに出陣する前の「戦士の休息」でした。

 偉大な起業家にして、革新者。深い知性と大きな愛の人。まさに、ノーベル平和賞に
ふさわしい方だと思います。

 もっと詳しく知りたい方は、「ムハマド・ユヌス自伝」(1998,早川書房)をどうぞ。

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